「ファイト、戦う君の歌を・・・」
みゆきファンじゃなくても、この歌を知っている人は多いと思います。今からだいぶ前、アルバム「予感」で発表されました。
「ファイト!」も確かに名曲なのですが、その一つ前に「金魚」という短い曲があります。
薄幸と思われる男女のカップルが金魚すくいをするんです。残念ながら金魚は一匹も掬えません。要領が悪いと女がいいます。でも2人して、それをうれしいというんです。掬えたとしても、どうせ飼えない、私たちは旅暮らしだから・・・
なんて素敵な歌でしょうか・・・生きることの悲哀、そして素晴らしさ・・・幸せを感じることって、人によってまちまちなんだと知っていても、改めて思い知らされます。寄り添いながら旅に流れて行く2人の情感、金銭的豊かさだけが幸福じゃないという人生の面白さを、金魚に例えて歌ってます。こんな生き方、したいな。
こんな経験をしたことがあります。
友達とツーリングに出掛け、峠道で迷ってしまいました。ようやく麓の村に辿り着いたころには日没間際でした。
とにかくお腹が空いてしまい、村に一軒しかない食堂で、親子丼を食べました。
が、さほど美味しくなく、1200円もしたのです。「これで1200円は高いなぁ」と思いました。
店主がジロジロ見るのも、なんか嫌でした。でも、村で飲食店はそこだけ、文句も言わずに食べるしかありませんでした。
最近、異様な物価高ですよね。皆さん、どうしていますか?
先日、コンビニで4コに切れている玉子焼きが220円したのにはビックリしました。
玉子を買って、自分で「だし巻き卵」を巻くか、3コで108円の「温泉玉子」を食べるか、にしています。
できる工夫はしないと、食費がかさんでしまいます。
2コで98円だった「野菜コロッケ」も、アンガスビーフ入りになり、158円に跳ね上がりました。
安い素材のコロッケはもう、扱わないということなのでしょう。
俺的には、小腹が空いた時や、すぐにビールが飲みたい時など、アンガスビーフなど入っていなくても、「野菜コロッケ」の安さが魅力だったので、辛い限りです。
でも、食べないわけにはいかないので、高い食材でも我慢して買っています。
その分、どこかに「ひずみ」が来ているのでしょうね。
似たようなケースに仕事があります。
嫌というわけではないのですが、毎日毎日同じことばかりで、「単調だな」とか、「今日、転んだことにしてズル休みしちゃおかな」なんて、考えてしまいます。結局行きますけど。
障害者であり、出したり仕舞ったりができない書類もある俺、単調であっても、仕事が与えられるだけ恵まれていると思わなければいけませんね。
麓の村の親子丼みたいです。
君が今頃泣いてるんじゃないかと思ったんだ
ひとりだけで泣いてるんじゃないかと思ったんだ
どんなにひどい1日の終わりでも
笑って帰って行った君だから
夜中にひとりで泣いてるんじゃないかと思ったんだ
君をかばう勇気も なぐさめも
何ひとつ浮かばず 見送った
己れのなさけなさに さいなまれて
君に何か渡してあげたくて
何かないか何かないか 探し回ったんだ
夜中の屋根で猫は跳ぶ 呼んで跳ぶ 泣いて跳ぶ
夜中の屋根で猫は跳ぶ 呼んで跳ぶ 泣いて跳ぶ
君に贈ってあげたいから
お月さまほしい
夜中の屋根で猫は跳ぶ 呼んで跳ぶ 泣いて跳ぶ
君に贈ってあげたいから
お月さまほしい
日本語の美しい言い回しを随所にちりばめて、情感あふれる一編の詩のような世界を表現する・・・キレイな言葉遣いに、ハッとさせられる・・・
みゆきが描く世界にはそんなことがしばしばあります。
もう昔になりますが、みゆきの語彙力が政府の偉いさんの目に留まり、「国語審議委員」を務めたことがありました。(ちなみに俺も国語の教師の資格を持っています)
最近、その情景描写の美しさに驚かされ、強い感動を覚えたのが、「終り初物」という曲です。
スマホや携帯はもちろんのこと、パソコンやインターネットもなかった時代の淡い悲恋・・・
こういう儚い恋を通じて、人は成長していくのでしょうという爽やかな別れ・・・それが情感たっぷりに描かれているのです。
一冊の詩集を借りて読む、思いを託すのに手袋を書く、人をきちんと信用して荷物を預ける
そんなことが普通だった時代の叶わぬ恋・・・
一冊の本を仲間内で回し読みする、渡すものを包みに入れて人に預ける・・・そんなこと、今や無いですね。
それができた時代の情景が美しい言い回しで表現されます。
みゆき姉さんの語彙力に改めて感動しながら、「終り初物」を聞いています。
春の到来を感じさせる「タケノコ」の煮物を、初夏にビールとともに味わいながら。
こんな言葉を 今どきわかる人がいるかしら
言葉は変わる 暮らしは変わる 今では 何んて言うかしら
あなたに届けたくて 今日のうち届けたくて
急いだ理由(わけ)を手紙に書いて 預けてゆくから 読んでね
終り初物 季節見送り
手に入ったから おすそわけ
終り初物 明日にはもう
どこにもないから おすそわけ
過ぎゆく季節 嘆くより 祝って送るために
ひとり娘のあの子が 遠い国へゆくらしい
いろんな理由(わけ)がそれぞれあって 掛けうる言葉が足りない
見送りにはゆきません 仕事を続けています
預けておいた包みの中に 借りてた詩集も入れました
終り初物 季節見送り
手に入ったから おすそわけ
終り初物 明日にはもう
会えなくなるから おすそわけ
過ぎゆく季節 嘆くより 祝って送るために
最近の「お笑いタレント」って、イケメンが多いですね。「吉本男前ランキング」なんて順位が存在するくらいですから。
その中でも、男の目から見ても「カッコいいなぁ」と思えるタレントをテレビを通じて知り、好感を持っています。
男前だから好感を持っている、とかじゃなく、その若者の生き方に心くすぐられる寂寥感を感じるのです。チャラいキャラの裏に、真剣に物事に向き合う姿勢が読み取れて、ステージを降りたなら、まじめな努力家で「いい奴」に違いないと、俺には思えてならないのです。
札幌に生まれ育った彼は、極貧の中で成長していったと聞きます。
食べることにさえ困るなか、ティッシュにマヨネーズをかけて食べたといいます。
妹を進学させるため、発覚すれば罪に問われるとわかっていても、援助交際を斡旋する仕事の片棒を担いだそうです。
そこまでしなければならない貧困を、平成生まれの若者が経験しているなんて・・・ささやかな驚きとともに、「そうすることを選んだ」、「そうするしかなかった」そのタレントさんの「家族愛」に惹かれます。
芸能人として成功してから、口さがない週刊誌が、彼に前科があることを書きたてました。営利目的で他人の古傷を利用したのです。
でもです。そこにあったのは極貧から這い上がるためには、手段を選んでいられないという彼の焦燥感と、不屈な「強さ」だったのではないでしょうか・・・
「そうするしかなかった」と、タレントが叫んでも、週刊誌の記事では、彼が売春の斡旋をしたという事実だけが一人歩きします。
俺は、この男前芸人に関心を持ち、彼の生い立ちを知り、家族愛から前科者になったことを推察する時、中島みゆきが5回目の「夜会」で、みゆき扮する「時間泥棒」が言ったセリフが思い出されるのです。
正確ナ伝説ハ ソノ本人ニ口出シサセテハナリマセン
正確ナ伝説ハ 他人ガ記サナケレバナリマセン
いくらタレントさんが「こんな生き方をしてきた」とあがいても、定義のように決められてしまうのです。
それでも抜群の高感度で人気を誇る彼に、さわやかな苦みを見てしまうのは、俺がそのタレントさんと同じく極貧の家に育ち、這い上がったからでしょうね。
風に綴るしかなかった手紙
あなただけは読んで
雪で作るしかなかった形見
あなただけは抱いて
記された文だけが この世に残っていく
形ある物だけが すべてを語って行く
叫べども あがけども それを誰が知るだろう
誰も 誰も 誰も
今の若い人には、分からないだろうけど、昭和の終わりごろ、何の罪もない一般の旅客が搭乗した大韓航空機が、爆弾を仕掛けられ、空中で爆破され、多数の死者が出るというショッキングな事件がありました。
犯行に及んだのは北朝鮮の女工作員、日本人に成りすますための日本の旅券も偽造して所持していました。
女性工作員は逮捕され、ソウルに移管されたのですが、空港でタラップを降りて来る際の光景を今でも覚えています。
同性の捜査官2人に両脇を抱えられ、口には自殺防止用のマウスピースが嵌められていました。
この工作員の供述で北朝鮮の手口が明らかになり、女性工作員には死刑の判決が出ました。
「北朝鮮の洗脳を受け、国外の事情を知らない」という特殊な背景が考慮され、特赦が与えられ、ソウルで韓国人として、平穏に暮らしています。
その女性工作員が日本の拉致被害者を扱った報道番組に出演した際、工作員になるために教え込まれた流暢な日本語で、インタビューに答えていました。
彼女が物心付いたころから北朝鮮で教えられたのは、
「南側で暮らす同胞は、アメリカ人の奴隷のように生き、アメリカ人の食べ残しをすするしか食べ物はないのだ。我々北で暮らす人間がやることは、同胞を救済することなのだ」
ところが逮捕され、警察車両でソウルの街を走り、女性工作員が目にした目にした光景は・・・
町は豊富な物資で溢れ、行き交う若者は皆、笑っている。
その光景を見た時
「自分は間違った教育を受けて来て、取り返しのつかない罪を犯してしまった」
と思ったそうです。
北朝鮮に限らず、凝り固まった思想を持っていて、偏った考えの教育をする国ってありますね。
独裁者だって、まだいます。
そうした実情を、しいてはそうした国との交わりを、子供に教えるのって、難しい。
美しい物語 読み聞かせていた
良い夢を見なさいと 寝かしつけていた
おはなしのお終いは どれも必ず
報われた幸せで 満ちあふれていた
目を醒まして見るのは 片付かない結末
どうして 善い人が まだ泣いているの
童話は童話 世界は世界
子供たちに何んと言えばいいのだろうか
友達とウチで夕ご飯を食べながら、クイズ番組を見ていました。
最後の問題が高得点で、順位が入れ替わり、優勝の行方も左右するという重要な問題でした。
中島みゆきの「糸」という名曲がありますよね。それを1番から4番まで、4人の女性が歌っているのです。果たして何番が本物の中島みゆきか、当てるという問題なんです。
一緒に見ていた友達は「ヒデちゃんなら、絶対に当たるよね」と言います。
俺は食事の箸を止め、真剣に聞きます。
そして、2番目の女性が歌う「糸」を聞いた時、「これがみゆきさんだよ」と、友達に答えました。3番目、4番目の人の歌を聞かなくても、2番がみゆき姉さんだと自信をもってわかりました。
案の定、2番が本物の中島みゆきの歌唱でした。
友達は「スゲー」と驚嘆します。
「当た棒よ、ファンのキャリアが違うぜ」と俺は笑いました。
なぜ巡り合うのかを 私たちはなにも知らない
いつ巡り合うのかを 私たちはいつも知らない
どこにいたの 生きてきたの
遠い空の下 ふたつの物語
楯の糸はあなた
横の糸は私
織りなす布はいつか誰かを
暖めうるかもしれない
昔の俺は、パソコンは、一応使っておりましたが、メールをする、ネットを見る、程度で、パソコンの持つ限りない利便性など、全く認識しておりませんでした。
それどころか、入力も、右手中指一本で「かな変換」しておりました。
弟をはじめ、周りの友達から、「今のうちにローマ字返還で、しかも両手で打てるように練習した方がいいよ。これから、パソコンのスキルはとても重要だから」という助言にも耳を貸しませんでした。
水商売から足を洗い、事務仕事に就いて、どうしてもパソコンは必須アイテムになりました。
そうして、やってるうちに面白くなり・・・ついにはwebの事にも手を付けました。
「助言に耳を貸さなかった頃」の友達と、先日、飲みました。
その友達はこのホームページを見て、そして俺がタッチタイピングでキーボードを打つのを見て「えーっ」ってひどく驚いていました。
中島みゆきの「ミルク32」という歌のようだといいます。
アンタときたら かな変換なんかしててさ
アタシ随分笑ったわね
いつの間に Dreamweaverなんて
使うようになったのよ
俺がはじめて中島みゆきのコンサートに行ったのは、俺が高校1年の春休み、もうすぐ2年という時でした。場所は小さな小さなホール。当時暮らしていた町から同じクラスのガールフレンドと電車に乗って行きました。
その頃、みゆき姉は5枚目のアルバム「親愛なる者へ」を出したばかりでした。
すべての曲をみゆきがギターを弾いて歌っていました。もちろん、小規模なバックバンドもいましたが。
一曲目が、「親愛なる者へ」に収録されている「小石のように」でした。だから、長いみゆき歴のなかで、俺が最初に生で聞いた曲ということになります。
安っぽい和服を着くずした感じで着てるのが、当時のいつものコンサートでのスタイルでした。江戸時代の遊女を意識したステージ衣装でした。
途中で着替えて、黒を基調としたシースルーのボディスーツのような格好になりました。本人は「サンマを獲る網でできている」と言っておりました。
さだまさしや松山千春の話をして、「きゃつら、わかめスープを欠かさず飲んでも頭髪の状態は悪い方に進行している」なんて言って、観客を大笑いさせました。
ラストが「世情」という曲で男性コーラスとともにあの有名な「シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく」という歌詞をみゆきが高らかに歌ったのを覚えています。目にも鮮やかなオレンジ色のドレスを着ていました。
初めてのみゆきの歌を生で聞き、動いているみゆきを生で見て、感動しました。
町に帰ってきて、駅前のお好み焼き屋でご飯を食べました。みゆきのコンサートもはじめてでしたが、異性と店に入り、食事をするというのもはじめてでした。大人になったような気がしました。
それから、何度もみゆきのコンサートには感動を貰い、あの素晴らしい演出の「夜会」には魂を抜かれました。
みゆきのコンサートに行くと、いいことが起きます。というのは、時が流れ、みゆきの「縁会」というコンサートに行ったんです。場所は有楽町の東京フォーラム。最初にコンサートを見た小さなホールとはスケールが違います。「ビッグになったなぁ」そう感じました。
その翌日、小さな小さな俺を拾ってくれた今の会社から、採用の返事が来ました。
なんでもあるような気がして、都会に来る。
どんな刺激でも体感できる錯覚に陥り、都会で模索する。
ネットの時代、誘惑は溢れ、快楽が簡単に手に入るような「おだて文句」が飛び交う。
そうして,騙され、すさび、一時の蜃気楼を見ていたことに気が付く若者。
大切なものを都会という名の不毛地帯で失くしかけたことに気づいて慌てている。
大切にしなければならなかった面影を郷里に残してきてしまった・・・
そんな青年の人生に「ほんの少しだけ」クロスしました。
「夢の実現への道は、都会じゃなく、君を育んだ郷里にこそ、あるんじゃないのかい」
お酒を飲みながら、俺が言うと、彼はボロボロと泣いていました。「スーツをカチッと着て仕事するのはカッコいい」なんて、ヘンな「かぶれ」症状があった青年は、どんな服装でも、どんな仕事でも、一生懸命取り組むことがカッコいいのだと、気づいてくれました。
俺はこの青年に、ツイッターで知り合いました。彼の方から俺をフォローしてきたのです。
片田舎から都会に来て、友達を得るツールとして、ツイッターを選んだようです。
「ツイッターなんて、99%が虚勢の張り合いじゃないか・・・本当の付き合いなんて、そうそうできるものじゃない」
と、俺はツイッターを止める時に、彼に言いました。
「バッカじゃねーの」と叱りました。
そうした中にも俺は、彼の中に純朴な優しさがあることに気づいておりました。
それは彼がファミリーワゴンにこだわって乗る理由です。
彼は自分の努力で家族が欲しいのです。
彼の両親が出会い、愛し、家庭を築いたように、彼も誰かとそうしたいのです。
そうして家族を乗せてファミリーカーで出かけたいのです。
その話を聞いた時、今度は俺がボロボロ泣きました。夢を応援してあげようと思いました。
いま、仕事頑張っている青年、ファミリーカーに家族を乗せる日がやがて来るように思います。
ふいに聞いた 噂によれば
町はそろそろ 春のようです
君のいない 広い荒野は
いつもいまでも 冬というのに
君の町は晴れていますか
花の種は育ちましたか
僕はここで生きてゆきます 未練な手紙になりました
忘れな草 もう一度ふるえてよ
あの人の思い出を抱きしめて
忘れな草 もう一度ふるえてよ
あの人の夢に届け
難病を宣告されてから、それなりの苦労もありましたが、泣かずに「どうやって生きてゆこうか」を前向きに考えてきました。
「いつか、そう遠くない日、治る日が来る」そう信じることが俺の「張り合い」だったし、今でも頑張れる原動力です。
そんな俺ですが、一度だけ大泣きしたことがあります。
それは、辛くて泣いたのではなく、嬉しくて泣いたのです。
なかなか障害者に認定してもらえない、かと言って一般求人では難しいという状況のなか、自活の継続を切望し、パソコンのスクールに通っていた俺に、区の福祉事務所の担当さんが、こういってくれました。
「どうやったら行政を利用して、楽に暮らせるかを考える人が多いなか、貴方は、どうやったら行政を当てにしないで済むか、を考えてる」
そういって、褒められたことが嬉しくて、嬉しくて・・・
「公務員にも、こんな人がいるんだ」そう思うと、泣けました。
あなたは杖をついて ゆっくりと歩いてきた
見てはいけないようで 私の視線はたじろいだ
あなたはとても遅く 身体を運んでいた
まわりの人はみんな いたわりの手を差し伸べた
鷹と呼ばれていた人が 這うように命を運ぶ
「見なさい」 あなたの目が
「見なさい」 私を見た
「怖れるなかれ 生きることを」
鷹の目が 見つめてきた
世界は変わって行く あなたはいつもそれの
変えてはならないことを 強く叫び続けてきた
世界は変わって行く あなたを嘲笑いながら
私はあなたの歌を 痛々しく聴き返す
灰色の翼は痩せて かすれた鳴き声をあげて
「見なさい」 あなたの目が
「見なさい」 私を見た
「命を超えて続くものを」
鷹の目が 叫んでいた
あなたは停まりもせず そのまま歩いてゆく
面倒な道ばかりを 敢えて歩き続けてゆく
私は自分を恥じる あなたを思って恥じる
ラクな道へ流れくだる 自分の安さを恥じる
鷹と呼ばれていた人が 這うように命を運ぶ
「見なさい」 あなたの目が
「見なさい」 私を見た
「怖れるなかれ 生きることを」
鷹の目が 見つめてきた
「見なさい」 あなたの目が
「見なさい」 私を見た
「怖れるなかれ 生きることを」
鷹の目が 見つめてきた
みゆきさんは、自身の作品の解釈をしないことで有名ですよね。
以前、ラジオに出演して、「夜明けを待って 一番電車」という「悪女」の一節について、
「何線なんですか?」
と問われた時、おちゃらけた声色で、
「秋田新幹線こまち」
なんて答えておりました。
質問者が「悪女が発表になった時、まだ秋田新幹線なんか、ないじゃないですか」と笑うと、
それ以上の大笑いをして、話をはぐらかしていました。
作品の解釈をしないのは、受け取る我々のその場の心情に沿って、どのように聞いて頂いてもいい、という彼女のプロ意識ですね。
我々聞き手は、自身の心情に即して、みゆきの曲を「受け取る」ことができるのです。
嘘をつきなさい 物を盗りなさい
悪人になり
傷を付けなさい 春を売りなさい
悪人になり
救いなど待つよりも 罪は軽い
有名な「愛よりも」の歌詞の一部ですね。
俺はこの歌詞はすごく強いと思います。
誰かに助けて貰おう=救い
この図式に頼ることなく、カラダが不自由であっても「どうやったら自分でできるか?」を考えることが大切だと、解釈させられます。
「杖がないと歩けない」とか、「靴の紐がうまく結べない」という俺の「方便」を真に受けて、障害者手帳を申請してくれたお医者さん元気かな?
このサイトの事が、友の会の会報に載ってから、同じ病気で苦しむ何人かの人からメールをいただきました。「感動した」「元気が出た」という内容に、俺自身も大きな元気をもらいました。
最近、思うことがあります。もしもこの病気に罹ってなかったら、その方が幸せだったことは間違いありません。
でも、です。現在のような会社で働くこともなかったでしょう。webの勉強をして、下手ながらも自分で1からサイトを作る知識や技術を必死で習得することもなかったと思います。もちろん、難病を抱えながら生活を安定させることができたのは、運が良かっただけで、自分で特別な何かをしたわけではないと思っています。生活が落ち着いた、web制作という張り合いもできた。病気に罹ってしまったことは残念ですが、俺、さほど不幸だとは思っていません。思いたくありません。難病に罹った、でも自力で社会生活を送る術を得て、行政に頼ることなく暮らしている。
ここまで来て、さらに欲深く願うことは一つ、それは近い将来、この病気が治る日が来ることです。オイラに限らず、この病気の人、さらには治らない病気に罹っている人すべての願いであるはずです。いつか、赦されて、きれいに歩くことができて、流暢に話しをすることができたら、その時は泣いて、それから笑うと思います。その時を想像すると、夜会「今晩屋」でみゆきが満面の笑顔でスタッフ全員と力強く歌ったあの歌が思い出されます。
赦され河、渡れ 赦され河、渡れ 赦され河、渡れ 赦され河、渡れ
赦され河、渡れ 赦され河、渡れ 赦され河、渡れ 赦され河、渡れ
もう十分に泣きました もう十分に散りました
思い上がってはいけません 人ほど弱いものはない
ここまで来たら できることは一つ
赦され河、渡れ 赦され河、渡れ 赦され河、渡れ 赦され河、渡れ
もう十分に泣きました もう十分に散りました
過去はぬぐっても消えません 一足先は闇の中
裁く力も 赦す力もない
赦され河、渡れ 赦され河、渡れ 赦され河、渡れ 赦され河、渡れ・・・
とても大切に思っている曲があります。
7回目の夜会でみゆき演じる 上田莉花 が、遠い異国で日本に帰る術をなくして途方に暮れ、泣きます。コレクトコールで日本の勤め先に送金を頼もうとするのですが、そのコレクトコールさえ、NOを言われます。ただ、心細さの中で、不思議と強い気持ちが彼女の心に湧いてきます。どうしていいか分からなくなって、泣いた後って、意外と強くなれるのではないでしょうか・・・
遥かな山から 吹き付ける風に
ひれ伏しながら けして折れはせぬ
押し寄せる雲から 打ち止まぬ雨に
ひれ伏しながら けして折れはせぬ
私がなりたいものはといえば
地下に根を張る あの竹林