Lifestyle
寒い朝、納豆でごはん食べると、「寒い時期になった」と感じます。というのは、俺にとって納豆は冬の食べ物であり、4月~10月は口にしません。あの発酵の感覚が暑さのもとで、嫌なのです。俺が日本酒で「山廃」が嫌いなのと同じです。あ、でも、ぬか漬けやチーズは、寒い時期じゃなくても、食べます。
三色団子・・・たまに「甘いもの」を食したい時など、買います。安いのも魅力です。が・・・ゲロマズなんです。むかしあった「すあま」に似てます。じゃあ、何故買うか?*それは「散らからない」からです。クッキーやサブレなどは、どうしても「食べかす」的に粉がでてしまいます。この三色団子、それがないのです。
自作のビビン丼

牛バラスライスを買い、コチュジャンとネギ油と岩塩で味をつけ、焼きます。
白菜キムチは一回分の出来合いを買います。
温玉と刻みネギを一緒にトッピングします。
数年前まで「牛めし・松屋」に「ビビン丼」というメニューがあり、好きでよく食べていました。
懐かしんで自作してみました。
大好き! 丸の内線

高円寺で飲み友達が居酒屋を経営していて、その店のホームページを引き受けています。
飲食店のホームページはいいですよ、更新がありますので。
例えば歯医者さんのホームページなどは、1回作ってしまえば、それっきりです。
「さ~さ、今月は抜歯が安いよ」
なんて、イベントを打って、それをホームページに載せる、なんてないのです。
それとは違い、飲食店は季節や催しに応じた更新があります。
鍋料理を夏に売っても仕方ないし、季節ごとにメニューを更新したり、忘新年会や歓送迎会のプランを宣伝します。
その度にホームページは更新され、俺に依頼されて、収入をいただきます。
その店が高円寺なのですが、地下鉄・丸の内線の「新高円寺」という駅のほうが近いのです。
暖かい、天気の良い日などは、降り注ぐ陽光を浴びながら、車椅子で荻窪駅まで走り、そこから丸の内線に乗って、新高円寺まで向かうのです。
丸の内線は車椅子でも、一人で乗降できます。
どういうことかというと、乗車口とホームが普通以上に隣接している箇所があり、高さも平坦に近いので、車椅子ユーザーであっても、一人で乗り降りできるのです。
日々の通勤に際し、乗る駅も、降りる駅も、スロープ板を出してもらい、駅員さんに介助してもらっておりますが、その介助が必要ないのです。
電車のなかで本を読むのが好きな俺は、まだ、歩けた時分、阿佐ヶ谷でスポーツジムを終えてから、西荻窪まで2駅で帰らないで、総武線で西船橋まで行き、そこから武蔵野線で、グル~っと回り、西国分寺へ出て、西荻窪に帰ってました。
その間、随分と本が読み進められました。
丸の内線が駅員さんの手を借りずに乗降できるってことは、同じことができるわけです。
荻窪から丸の内線に乗り、大手町あたりで、改札を出ずに、引き返す。
新高円寺で降りる・・
その間、本を読む。こんなことができるのです。
丸の内線、すごい!
丸の内線、大好き!
JRも、そうなってほしい。
ホームドアの設置率さえ低いJR、中野駅にはエレベーターさえ、ありません。
事故等で東西線との直通運転が取りやめになり、
「中野駅で乗り換えてください」
とアナウンスされると、ガクっと来ます。
中央線のグリーン車輌など、金掛けて作っている場合じゃないと、声高く訴えたい気分です。
坂

坂・・・坂のある道風景、好きです。
どこか寂しげな情感を感じて、風情に浸る人、俺だけじゃないと思います。
由緒ある坂には名前が付きますね。
数年前、訪れた長崎には「オランダ坂」がありますし、谷根千として名を馳せる谷中には、富士山が頂上から見えることで有名な「富士見坂」なんて、あります。
この前、この「富士見坂」テレビでやっていて、見ましたが、落ちていく陽に淡く照らされて、本当に綺麗でした。
こうした坂の名前、江戸時代の合戦や武具に因むものや、武家が精進した寺の名に因むものが多いように思います。
余計に風情を感じます。
「この坂をお侍さんが通ったんだな」
とか
「周りの景観は変わっても、坂と名前は武士の時代から、今も呼ばれ残っているんだなぁ」
と、重みみたいなものを感じます。
太陽光が影を作ってあたったりしていると、尚更、情感を掻き立てられます。
文学
俺は大学で国文学を専攻しました。
文学部の中が、多岐に分かれていて、社会学や英文学など、自分の興味ある学問を専攻するのです。
専攻生の多い学科もあり、逆に少ない学科もありました。
なかでも哲学科は
「おい、今年、哲学科、専攻生いるんだってよ」
という具合に、ドイツ語、フランス語の両方に精通していることが求められた学科で、難しいとされていました。
我が国文科は、比較的大所帯で、女子も多かったです。
俺は、海辺の喫茶店で、レスカなど啜りながら、漱石の「行人」など、読んでおりました。
経済学や商学など、社会に出てから役立つ、いわゆる「実学」を学ぶ人からすれば、文学なんて価値がない学問のように言われていた時代でした。
損得で物事の良し悪しを判断しないことを「文学部的考え」と揶揄されたことも、ありました。
いまでは・・・国文学を専攻したこと、よかったと思っています。
どだい、文学を嗜む、というか、文学作品を味わうというのは、音楽を聴く、絵画を鑑賞するのと同じです。
「文章芸術」という表現があるように、小説は、何もないところから、「言葉」という表現方法で、「形あるもの」を、作り上げてゆくのです。
渡された俺たちは、その芸術性を鑑賞するのです。
例えば、大岡昇平という小説家がいました。「野火」や「俘虜記」といった「戦記物」で有名ですが、仏文学の研究者としての一面も持ち、フランスの文学作品を、多く日本に紹介しました。
大岡が書いた「武蔵野夫人」という作品・・・高貴で裕福な令夫人が、不貞を働くのです。
そこに描かれている様は、官能的な要素は微塵もなく、芸術的なエロティシズムなのです。
テレビがなく、小説を読むくらいしかなかった俺は、大岡のこの作品に出合い、鑑賞することにより、「なんて素敵な文章だろう」と驚嘆したものでした。と同時に「テレビのない生活も、いいな」と思ったものでした。
その作家の思想なり、美意識を鑑賞したり、書かれた時代背景を読み解く面白みが、読書にはあり、そうした、作者の思考なり、描かれた時期の社会背景を読み解くのが、文学だと俺は考えます。
また、文学作品について、「知っている」ことが、「教養」というオシャレに繋がること、時としてあります・・・
というのは・・・まだ、日本酒ソムリエをしていた自分に、お客様から、「曾根崎心中」の文楽に誘われたことがありました。
俺は喜びをあらわにし、2つ返事で招待を快諾したのですが、即座に「曾根崎心中」の一節を口ずさむと、そのお客様は俺が「曾根崎心中」をそらんじていたことに驚嘆して、俺の持つ「文学的素養」を誉めそやしてくれました。
よく、文書が上手いと言われています。それは、名作に触れ、国文学を専攻して、絶妙な文体に出合ったことが、あります。
学生時代テレビのない一人暮らしをしていて、その分で、小説を読み捲くったことも、文章力を鍛える下地になったと思います。
事実、夏目漱石、川端康成、三島由紀夫、谷崎潤一郎、福永武彦、大江健三郎、倉橋由美子などは、ほとんどの作品を読みました。
飲み友達に、文学好きな御仁がいます。
酒と文学・・・俺と2つ、共通項があります。
その人、漱石の「こころ」に「同性愛のニオイがする」というのです。
「Kが本当に好きだったのは、お嬢さんじゃなく、先生じゃなかったか?」という読みもできるといいます。
鋭い洞察力です。
知らない人から 挨拶される

最近、挨拶されることが多くなりました。
同じマンションの住人や、買い物をよくするスーパーの店員さん達なら、すぐにわかるのですが、俺的には、見ず知らずの人から、すれ違いざまに「こんにちは」なんて言われると、無難な挨拶を返しておきますが、「誰だったっけ?」なんて戸惑ってしまう・・・
向こうは俺を知っているのに、俺は向こうを知らない。
なんか、SNSの匿名性に似たものを、感じます。
でも、です。
知らないうちに、秘密裡に俺を監視するなら、挨拶なんて、しないと思います。
しかも笑顔で・・・
地元の飲み屋さんが発展するように、力を注いでいる俺・・・どこかで会っているのでしょう。
楽天的な俺は、不自由なカラダでありながら、一人暮らしを頑張っていることを、皆がいつの間にか認知してきてくれたと、タカを括っております。
「俺も地元じゃ、有名になったな」
ってなもんです。
あいざき進也というシンガー
アイドルという職業・・・若く、キュートな女の子がステージ上で歌い、ポーズを取り、野太い声の男たちが声援を送る。
応援するときの揃いの法被まであり、たいへんな気合の入れようでした。
そうした中、逆ヴァージョンもありました。
つまり、男性がアイドルとしてステージに立ち、女の子からキャーキャーと「黄色い声」を受けていました。
男性アイドルと言われ、俺が物心ついた頃、郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎の「新御三家」が、男性アイドルの主軸でした。
さて・・・あいざき進也 というアイドル歌手、覚えていますか?
餡子に蜂蜜をかけたような甘~い歌い方で、小柄で小顔で華奢な「可愛い」感じの男性アイドルでした。
女の子にもてはやされるよりは、その華奢で可愛いルックスから、ゲイの趣味がある富裕な「パパ」から、「お小姓」として、愛でられるのが似合うような風貌でした。
でも、です。
小顔、小柄な容姿からは絶対に想像つかないであろう、抜群の運動神経の見事さを持っていました。
空中ブランコなど、やっておりましたから、「スポーツ選手」というよりは、「軽業師」と呼びたくなるような、卓越した運動神経でした。
あいざき進也・・・大人の歌手になろうと、懸命にもがきながらも、なれずにいました。
女子中高生受けはよくても、彼女たちが大人になった時、男性アイドルなんて、見向きもしないのがほとんどでした。
そうした中、あいざき進也は、誰かを守って行ける強さもなく、不良っぽいワイルドさも、ありませんでした。
新御三家と言われた郷ひろみたちが、大人の歌手へと成長できたのに対し、あいざきはアイドルのままでした。
布施明のような歌手になりたいと、雑誌のインタビュー記事で見ましたが、布施明が歌う世界を醸しだせるような大人にはなれませんでした。
その理由・・・簡単に言ってしまえば「男の可愛さ」でした。
天性に持ち合わせた可愛さゆえ、大人になれなかったのです。
アイドルやっていれば、メシが食えると思ってしまい、芸事に精進する気概を持たなかったのです。
そうして、仕事がなくなり、干されたといわれる中、大人の歌手を目指して、寺内タケシのバンドボーイに志願しました。
寺内のバンドは軍隊的階級制で、あいざきは一番下っ端でした。
トップアイドルからバンドボーイへの下落は当時の芸能界で話題になりました。
そうして、軍隊式の厳しい日々に耐えたあいざきは念願叶って、大人の歌手になれたようです。
自身で歌う楽曲は、詩から曲から自身で作り、往年のアイドルと組んで、グループシンガーしているようです。
歌手であり続けたいという願い、少し遠回りしてでも叶えているあいざき進也素敵ですね。
YouTubeでアイドル時代後期のあいざきの動画を見つけました。
彼自身
♪甘いよ 甘い
と歌っているのに、笑いました。