Lifestyle
飲み友達の倅・・・バイクが好きなのです。
俺がライダーだった時分の画像を見せたら、「ええ、これ本当にヒデさんだ」と、驚嘆しておりました。
自分のバイク画像を送ってくれました。カッコいいですね。
病気が治ったら、ツーリング一緒したいものです。
駅前に「ケンタッキー・フライド・チキン」ができました。
独自のハーブで味付けし、サクッと揚げたクリスピーなチキンは好きで、よく食べております。
フルーティーな日本酒とも合います。
これでチキン料理には、事欠かないです。
小鹿、買い出し、頼むね。
焼きナスとサバの水煮
茄子は、縦半分に切り、切れ目を入れます。
この状態で、オリーブオイルで焼きます。
茄子はすごく油を吸う野菜なので、多めのオリーブオイルをフライパンに引き、揚げる感覚で焼きます。
その方が皮目の紫が綺麗に発色します。
これを、缶詰めになっているサバの水煮と合わせ、「とろろ」を掛けます。
最近は、自分で山芋を摺らなくても、摺って、チューブに詰めた「とろろ」、コンビニで買えますね。便利です。
「八方白ダシ」でいただきます。ビールと合います。
江戸っ子の理屈
江戸時代の庶民、市井に生きる「江戸っ子」と言われる人種は「屁理屈」というか、反権力の「言い返し」が好きですよね。
もちろん、いい意味で・・・
興津要の本など、読みますと胸がスッとする話など、あります。
それは、現代の矛盾を孕んだ政策に適応したら面白いだろう、と考えてしまいます。
こんにち、上げて遊ぶ凧って、あるじゃないですか・・・江戸時代、庶民の間で大流行し、子供に限らず、大人まで、河川敷で興じた時は、タコではなく、「イカ幟」と言われていたそうです。
バランスを取るために、両端の下端に付けるヒラヒラの縦長の紙が、イカの足に似ていたからだそうです。
ある日、「イカ幟」が江戸城の敷地内に堕ちた。最近でも、ドローンが皇居内に堕ちる、なんて事件、ありましたよね・・・
当然、幕府は「イカ幟」で遊ぶことを禁止にします。
大流行していた遊びの楽しみを奪われた江戸庶民は、平然と今まで通り、上げ続け、遊行に耽りました。
取り締まる役人に対して
「あれはタコだ、イカじゃない」
と言ってのけたそうです。
タコにも、イカのようなヒラヒラした足がありますから。
江戸っ子の小洒落た物言いに、為政者は笑って、許可したそうです。
それ以来、「タコ」と称され、「凧」の字があてられるようになったと言います。
江戸庶民のウィットに富んだ言い回しが、ダメな政策を廃止したのです。
火の廻りに借り出された庶民が火の番小屋で酒を飲み、宴席をする話があります。
瓢箪から直に、冷で飲もうとする初老の人を、世話役が
「火の番小屋で酒なんか飲んでいいのか」
と言って取り上げます。
瓢箪の酒は土瓶に移され、火鉢の上でお燗をされます。
その世話役の言い分が、実にいいのです。
「瓢箪から出る酒を飲んでちゃ具合が悪い。土瓶から出る煎じ薬だったら、どうてこたぁない」
そう言って、平然と燗酒を煽るのです。
洒脱の効いた取り成しであり、寒い冬の夜に酒を飲んで温まるための、知恵のある物言いです。
そこに描かれているのは、権力者vs.庶民であり、市井に生きる人が、楽しみを守るために考えた、胸の透く「屁理屈」です。
好きなんです、こうした「屁理屈」。
現代においても、矛盾に満ちた政策、ありますでしょ・・・
こうした「笑える理屈」で立ち向かってくれる人、今でもいたらいいと思います。
車椅子って、嫌な器具でしょうか・・・?
佐藤弘道・・通称「ひろみちお兄さん」、NHK「おかあさんと一緒」の体操のお兄さんだった時期と、俺の姪が幼児だった時期がモロ被るので、姪と話題にできるように、俺も観ておりました。
ひろみちお兄さんの爽やかな笑顔には好感を持ち、「これは世間に受け入れられるよ」と驚嘆しておりました。
時は流れて、そのひろみちお兄さんが脊髄梗塞になり、必死のリハビリに耐え抜き、自分で歩けるまでに回復したのです。
流石、と思う反面、その発言に、俺は「おや、そうですか・・」という冷めた捕らえ方をしました。
「自力で歩けなくなって、車椅子の生活になったら嫌だから」
俺は自分が車椅子を使っているから、負け惜しみで言うわけじゃ、決してないのですが、車椅子生活になれたこと、嬉しく思っております。
近眼の人が眼鏡をかける、くらいにしか、感じていないです。
俺の介護等級は「要支援1」・・・一番下の等級です。
当然、車椅子など、貸与されないはずです。
そこで重要になったのが「主治医の一筆」です。
「この人に車椅子を与えないと、重大な事故になりますよ」
という意見書を主治医が書いてくれて、それを行政機関が承諾し、重大インシデントに繋がらないうちに、無事車椅子が貸与されました。
良かったです。
何がいいって、どこへでも行けるようになったことです。
いままで、歩行で危なっかしかったところでも、車椅子でヒョヒョイと行けてしまうのです。
皮肉にも、自力歩行より、車椅子の方が、活動範囲が広がったのです。
杖歩行でぎこちない状態になり、無沙汰していた地元の日本酒バルも、最近では利用して、安全に帰宅しております。
マスターと「日本酒談義」ができる、車椅子を使うようになったからです。
健常者だった頃は、見向きもしなかった地元エリアも車椅子で散策するようになりました。
「へぇー、ここにこんなおしゃれな店があるんだ」
という「気づき」で、行くようになった店、随分とあります。
それと、小鹿にしろ、ノアくんにしろ、連れだって歩く時、歩くことに精一杯集中していて、何か言われても、相槌を返すくらいがやっとだったのですが、子分たちとどこかへ出かける時に、車椅子のおかげで移動にゆとりが生まれ、会話が楽しめるようになったのです。嬉しい限りです。
車椅子テニスの小田凱人、爽やかでカッコいい青年です。
しかも、かなりのイケメンです。まだ10代とのことです。
幼少期に、足が不自由になり、そこで観た車椅子テニスのプレイヤーのカッコよさに感動し、
「今度は自分が感動を与える側になりたい」
と発奮したと言います。
そして・・・車椅子利用に全く動じていません。
「車椅子だって、カッコいいものはカッコいい」
を地で行っています。
「車椅子生活になったら嫌だ」と嘆いたひろみちお兄さん、同じスポーツで飯食ってく立場として、小田凱人のサバサバ感を、どう思うでしょうか?
黒革手袋の魅力
友達の部屋を訪ねたら、その男友達、黒革手袋を嵌めていて、嵌め心地を試しているような様子でした。
「彼女にプレゼントされた」・・・彼は、そう言います。
「男が黒革手袋をする」・・・俺は、なんだか不思議な気分になりました。
どだい、手袋をする目的は、大きく分けて3つあります。
その1つが、なんといっても防寒です。
天気予報などでは、寒い日の予報で「マフラーと手袋が必要」と言いますね。
2つ目は、「手を保護すること」です。
俺もバイクを駆って、ライダーしていた時分には、バイク用のグローブをしておりました。安全装備と、アクセル操作のためです。
汚辱や薬品に触れる時、手を守るのも、この役割ですね。
そんなこと言ったら、防寒だって「寒さから手を守る」ことになりますけどね。
3つ目が、オシャレとしての着用ですね。
冬場、ロングコートを着込み、カシミアの手袋をしているご婦人など、見かけると「いいトコの奥さんだろうな」って、感じます。
でも・・・です。
それが、黒革手袋となると、4つ目の意味合いが加味されてくると感じるのは、俺だけじゃないと思います。
それは、邪悪で、ややもすると悪事を働いたり、他人を蠱惑する嗜みです。
映画などで、悪役がピストルを乱射するシーンなどで、その手は黒革手袋に覆われていました。
悪事と言いましたが、道に沿った正義の鉄拳でも、暴力を振るう場面では、黒革手袋は凄みを添えます。
正義のヒーローが怪人を打ち負かすシーンでも、ヒーローの手は黒革手袋を嵌めていて、俺たち、観ている側の少年は、いたく興奮して、
黒革手袋=相手を打ち負かす時のアイテム
という図式が、摺り込まれてゆくのです。
不良っぽい青年、邪悪な男、そういった人に黒革手袋は似合います。憧れも抱きます。
今回、彼女にもらった黒革手袋を試していた青年も、どことなくヤンチャ系で、不良っぽくないこともないので、黒革手袋、サマになります。
女性が黒革手袋を嵌めていることも、然りです。
ファッションとして着用しているのでしょうが、それが良く鞣した黒革の長手袋だったりすると、邪悪な嗜みを見てしまいます。
「黒革手袋を嵌めたその手で、首を絞められたい」
なんて、マゾヒスティックな気分になる殿方、多いことでしょう。
健全な、いい趣向です。
黒革手袋って、「いい意味で」人を邪悪に扇動するのです。
加藤登紀子というシンガー
加藤登紀子って、最近の若い人は知らないね・・・
一世を風靡した「すごい歌手」で、この前は「サンデーモーニング」に、回答者として出演していたほどの知識人なのです。
酒を愛し、「ホロ酔いコンサート」と銘打って、一升ビンを回し飲みし、自身も飲んで、自身が弾くギターだけの伴奏で、語るように聴かせるスタイルを、酒の席で若いサラリーマンに話したら、「味がありますね」と、いい意味で驚嘆しておりました。
加藤登紀子を「知っている」世代の人・・・彼女について「何」が真っ先に思い出されますか?
中国ハルビン出身なこと?
東大出なこと?
旦那様とは獄中結婚したこと?
加藤の亭主・藤本氏は、学生運動の指導者的な立場で、そのことで投獄され、加藤との結婚に踏み切った時分は収監されておりました。
年齢的に学生運動を「やった」世代に学生だった加藤登紀子ですが、「自分の歌が新左翼のプロパガンダに使われるのは嫌だ」という信念のもと、思想的色彩を帯びた曲は一切歌わないし、作らないですね。
俺はデビュー時の加藤は、年齢的にまだ小さくて、記憶にないのですが、「知床旅情」をギター弾き語りで歌い、爆発的ヒットを記録したときは、小学生でしたから、記憶しています。
当時、国鉄と言っていた国営企業の、「日本全国旅をしよう」という「ディスカバー・ジャパン」のテーマとして、日本開拓のブームに乗ったように覚えております。
「日本を再認知しよう」という風潮のもと、札幌五輪が開催されたのも、この頃でした。
そうした方策は、やがて「日本列島改造論」へと発展していきます。
加藤登紀子はジャンルに捕らわれないシンガーだと思います。
最初はシャンソンを歌っておりました。
美輪明宏を世に出したシャンソン喫茶「銀巴里」で歌っていたのです。
かと思うと、自身で歌を作り、ギター弾き語りで聴かせる様なスタイルもとります。
日本酒・大関のCMソングや、「黒の舟歌」などでは、演歌っぽい色調もみせます。
訳詞にも造詣が深く、「いい歌」と思えば、すぐに訳して紹介します。朝鮮半島、アンデス、ロシア圏などの歌謡を日本で歌いました。
特に、ロシア語を翻訳して歌った「百万本のバラ」・・・名曲ですね、大ヒットしました。
俺はもともと、中島みゆきファンで、みゆき姉の、数少ないテレビ出演のうち、加藤登紀子と共演したことがありました。
フジテレビの「ミュージックフェア」という番組で、みゆき姉が加藤登紀子に「この空を飛べたら」という楽曲を提供した経緯でした。
当時、俺は高校生、みゆき姉も、今と違い、地味で、化粧っけもなく、ギターを弾いて歌っておりました。
番組の最後で、みゆき姉の弾くギターで、2人で「この空を飛べたら」を熱唱したのです。
先日、そのYouTubeを観ました。
それに付随する形で、自身のギター一本で「難破船」を歌う加藤登紀子のYouTubeにたどり着きました。
決して中森明菜を否定するわけじゃないのですが、自身のギター一本で、しっとりと語って聴かせるような加藤の歌い方に「役者の違い」を感じました。
80歳になった加藤登紀子・・多くの著名人に祝福され、バースデーコンサートをやっていました。
相変わらずの語り口調で、素敵でした。
年に負けないで、無理をせず、まだまだ歌い続けてほしいです。