歯磨き粉を変えました。ごく普通の「クリニカ」を使っておりましたが、ドラッグストアに掃除用洗剤を買いに行った際、そのパッケージの綺麗さが目を惹きました。赤、白、青の3色が重なっているのです。フランスの国旗みたいです。歯を清潔に保つだけじゃなく、歯周病や口内炎の予防効果もあるそうです。
え~っ、中国って本場なはずなのに、中国の麻雀って、フリテンがないの・・・?仕事の関係で中国に赴任している日本人飲み友達が画像を送ってくれました。こんな「捨て牌」していたら「誰が」「何を」切ったか、分からないし、フリテンなんてあろうはずがありません。事実、日本人飲み友達は「無い」と言ってました。フリテンと言えば、両面待ちでやる人は少ないですが、暗刻が絡むような、1,4萬 5索のような、いわゆる「変則3面待ち」でやる人、初心者に見かけます。
ナメタガレイ・・・美味しいですよね。煮つけにして、炊き立てのご飯とともに味わうのが最高です。
ナメタガレイは水洗いしてヌメリを取り、キッチンペーパーで丁寧に拭きます。鍋でもいいのですが、一人分の大きさならフライパンが便利です。
フライパンに煮汁を張り、沸騰させます。アルミ箔で落とし蓋をして、煮ます。
あらかた煮えたところで、煮汁を掛けながら好みの具合に煮詰めます。
卵が入っていると、その食感が嬉しくなりますね。
誰でも一度はこうした「母の手料理」を経験して大人になったはず。
故郷を離れ、都会で味気ないコンビニ弁当の食生活にふっと我に返り、おふくろの味が恋しくなったなら、食べに出かけてください。
この前テレビでやっていたのですが、掃除とか洗濯じゃなく、掃除用や洗濯用の洗剤を容器に詰め替える、などの「ちょっとした家事」テレビでは「名もなき家事」と呼んでおりましたが、そうした「名もなき家事」って、案外手間で面倒くさいと、出演していた主婦は言うのです。
俺も同感です。
俺の場合、掃除は苦になりません。だけど、掃除用洗剤を容器に詰め替える段になると、「あ~ぁ」となってしまいます。
トイレットペーパーを変えた時、芯を捨てるのが億劫だったりします。
洗濯に関しても、洗濯そのものには、問題ありません。干すのもスムーズです。
ただ、取り込んだり、畳んだり、ものによってはアイロン掛けたりが、大儀なのです。
そうした「名もなき家事」、食事にも出ています。
料理をするのは苦じゃありません。むしろ好きです。
器に凝るのも好きです。
ただ、材料を買い出しに行くのが、苦に思う時があります。
美味しい大吟醸など、手に入り、何をアテにしようか、馴染みの魚屋さんや、スーパーの鮮魚売り場を物色するのは大好きなのです。「今日の夕食何にしようかな」的に、旬の食材を吟味して歩くのも、楽しいのです。が・・・
「肉じゃがを作ろう」的に、料理するものが決まっている場合、肉や野菜類を買いに行くのが面倒に思えてしまう時があります。
食材を物色して、献立を考える楽しみをそいでしまったようで・・・
斯く言う俺ですが、先日、オムライス作るのに、玉子を買い忘れて、一人で大笑いしながら、ケチャップ味のチキンライスを食べました。
パソコンを買い替えました。
今までの Sony VAIO を10年以上使い、動きも遅くなり、「そろそろ限界かなぁ」と思ったことが動機でした。
古いパソコンから新しいパソコンへのデータの移管、簡単にできると思っていたのですが、案外煩雑で、小鹿や実弟を煩わせてしまいました。
プログラミングの勉強や、このホームページのネタなど、wordで作った文章や、中島みゆきのCDを取り込んだミュージック・ファイルなどは、簡単に移せたのですが、苦労した点、というか、難局だったのが、ライセンス認証が発生する事案でした。
新しいパソコンにMicrosoft Office が最新バージョンでついていたのですが、「ライセンス認証」を求められ、最初のうち、wordもexcelも使えずにいました。
どうやっても「問題が発生しました」と出てしまい、諦めかけて、新しいパソコンは売却し、古いパソコンを使い続けるのが得策と考えておりました。
そんな矢先、新しいパソコン購入から1週間経った頃、「新しいパソコンでOfficeを使うには?」と検索し、ヒットした多数のページのうち、富士通のページを参考に、新しいパソコンをいじっていたら、突然認証され、officeが使えるようになったのです。
最大の難関だったのが、photoshopやirrustratorなど、Adobeのデザインソフトを移管することでした。
今はAdobeのデザインソフトは、月額いくら、の「サブスクリプション制」になってしまい、月額料金を払うことで、最新バージョンが使えますが、俺が購入した頃は、買い取り制でした。
俺のパソコンには、いまでは古いCS5が搭載されていて、いまでも便利に使っております。
このホームページのHTMLファイルだって、いまだにdreamweaverで開き、書いているのです。
ネットでデザインソフトの移管について調べていたら、「サブスクじゃなくて、使い慣れたバージョンがいい、私はCS5で十分だ」という投稿をました。
全く同感です。
CD-Romは保管してあるのですが、それを新しいパソコンに挿入しても、「シリアル番号」が分からないと、インストールできないのです。
小鹿が手を尽くして当たってくれましたが、10年以上昔のことゆえ、シリアル番号は分かりませんでした。
「このままではAdobeのデザインソフトが使えない、このホームページも維持できない」
そんな焦燥感に駆られた俺は、またしても古いパソコンを使い続け、新しいパソコンは売却することを考えました。
ダメ元精神でCS5を買った経緯や、パッケージの画像などをAdobeにメールしたのです。
10年以上前のことなのに、Adobeに販売履歴が残っていて、シリアル番号、無事教えてくれたのです。
新しいパソコンにAdobeのデザインソフト、移せました。
やれやれ、という達成感です。
あとは、ネット通販や銀行関係のサイトを新しいパソコンに移し、パスワードを入力する手間があります。
古くから使っているサイトなど、パスワードを忘れてしまっているケースもあります。パスワードを変更しなければなりません。
このホームページを見ていて下さる諸氏、パソコンの買い替えは思いの外、煩雑です、不便がないうちは、やらないことをお勧めします。
と同時に「パスワード・リスト」を作っておくことです。
障害者になる前、健常者の頃、俺は長い間、飲食接客業で生計を立てておりました。
飲食接客業というと、嫌がられる仕事の代表格のように思われてしまい、なかなか志願者がいなかったです。
それは、傲慢な酔客にも、謙らなければならないことへの「不条理さ」があり、社員で取り組むと、「時間が長い」とか、「休みが思うように取れない」などの事由が考えられます。
少しでも人員削減と業務省力化のため、オーダーはタッチパネル式で、スタッフがオーダーを取らなくてよい店舗がほとんどになりました。
俺が飲食接客業に就いた頃には考えられなかったです、なんともすごい時代になりました。
大学を卒業して、俺が最初に働いたのは、ホテルでした。ホテルマンとして、人生のスートを切ったのです。
タキシード姿で、和服着用の女性に混じって、懐石料理を運んでいました。
魚を始めとする食材の「旬」や調理方法、和食のマナーなど、勉強になりました。
その勤務を辞去したのは、和食の達人ともいうべき調理師さんが、格式のある有名料理屋の、副料理長の座をなげうって、赤坂に自分のポリシーを貫ける和食屋を出し、俺は、その店の接客担当兼日本酒ソムリエになりました。
その料理人さん、オーナーシェフになるわけですが、「ホールスタッフなんて、板前が作るものをただ運ぶだけ」という風潮が強く、パワハラなんて希薄で、板前が威張っていた時代にあって、「接客も立派な技能」と思ってくれて、その人が作る料理に合わせて、俺が日本酒をセレクトする、あるいは「こんな日本酒をやるから、こんな料理を作ってほしい」と提案する・・・そうした「料理と酒のマッチ」を評価してくれました。
和食の世界では、オーナーシェフのことを「オヤジ」と呼びます。わが職場でも、料理長兼オーナーを「おやっさん」と呼んでおりました。
いま思えば、「いい意味」で、変わった経営者権料理人でした。
「いくら高額な給与をもらっても、それを遣うヒマがなかったら、つまらないだろ」
なんて言っておりました。
職場は赤坂というオフィス街だったため、日・祝日は定休日でした。
障害者になり、いまの会社に拾っていただいた時、飲食接客業の割には「ここ何年も、日曜日に働いたことがない」と言うと、上席者から驚かれました。
ホテルは別として、オフィス街にある個人経営の飲食店では、たいがい日・祝日は休みです。
土曜日も休みな店も多いです。
店を開けても、オフィス街故、会社が休みで、客がいないのです。
わが職場も、土曜日は夜の営業だけ、開けておりましたが、思うように客が入らず、営業なしで、皆で集まって、普段できない個所の掃除やら、ツケの請求書を書く、などの事務仕事、酒や料理の勉強会など、しておりました。
店の営業時間はランチが11:30~14:00 夜の部が17:30~23:00でした。
サラリーマン相手の商売ゆえ、ランチは13時過ぎるとヒマになり、ランチ営業終了の14時には、すっかり片付いて、「まかない」になることが、ほとんどでした。
まかない後の14:30から、夜の部の準備にかかる17:00までは、当番制の留守番1人残して、他の人は、何してても自由でした。
おやっさんなんか、床屋に行ったり、サウナに行ったりしておりました。
俺は予約関係の多い金曜日に電話番を兼ねた留守番がほとんどで、他の日はスポーツジムに行ったり、地酒屋さん巡りをしていました。
殊に木曜日は、おやっさんの配慮で、13時半頃、店を出て水泳しておりました。
こうして、職場に拘束される時間を少しでも減らし、時間が長いと思われがちな飲食接客業において、俺が働いていた店は、自分の時間が多かったです。
搾ったばかりの生酒が入荷し、キリキリに冷やして、俺もおやっさんも、その見事な美味しさに驚嘆しました。
やや横柄な酔客が、その生酒を燗をつけて飲みたいと言ったのです。
当然俺は、日本酒ソムリエとしてベストな状態で飲んで欲しかったので、丁重に断りました。
「こっちは客だぜ。客が飲みたいって言ってるんだから、燗酒にして出せよ」
と、その酔客は、ゴネました。
おやっさんは、その酔客を出入り禁止にしました。
そういう金さえだせば何でも客になれるという凡人、大嫌いというのです。
そうした点で、「不条理な酔客のわがまま」にも、へつらう必要はなかったです。
飲食接客業の「避けられる点」が希薄でした。
経営者の心持ち一つで、店の、職場の体質って変わるものだなぁ、と思います。
飲食接客業は「不条理」で、「時間が長い」と決めつけて、避けて、結果、オーダー取るのに、客がタッチパネルを押すなんて、やめてほしいです。
もっと飲食接客業に志願してください。
俺は「いいオーナーシェフに長い間、使われたなぁ」と、ほのぼのと考えます。
スタジオ・アルタが閉館しました。
携帯電話やスマホなんてなかった時期に青春後期を過ごした俺の世代、「アルタ前」は待ち合わせの定番でした。
外に向かって放送されるワイドなテレビも新鮮で、昭和天皇の崩御、それに伴う新元号の発表、アメリカ・同時多発テロなど・・数多の時事世相を、高い位置で、通行人に届けてきました。
スタジオ・アルタといえば、切っても切れないのが「笑っていいとも」ですね。
放送が始まった時、俺は大学1年生でした(2年生だったかもしれない)。
「いいとも青年隊」をやっていた野々村真と同じ年と記憶しています。
人気番組で「いいとも」というキャッチフレーズは大流行し、大多数の若者が使いました。
多くの芸人にチャンスを与え、同番組で世に出たタレントも多かったですね。
また、そこそこメジャーな芸能人でも、「いいとも」に呼ばれることは、一流芸能人として認知されたかのように、花輪が飾られ、「祝・出演」の文字が下っておりました。
「いいとも」の「テレフォンショッキング」に出演できることは、一種のステータスだったのです。
作家・有吉佐和子が「テレフォンショッキング」に招かれ、番組を「乗っ取った」事件もありました。
「テレフォンショッキング」の持ち時間が終っても、居座り続けて帰らなかったのです。
有吉は「恍惚の人」、「複合汚染」などの純文学作品を世に出し、それがヒットした「ベストセラー作家」でした。
有吉佐和子が帰らずに番組を乗っ取るという怪事件は番組の視聴率をグンと上げました。「8時だヨ 全員集合」の冒頭の停電のような効果です。
しびれを切らした司会のタモリは、「ベストセラー作家」に対して、「帰れ」と言ったのです。
その数か月後、有吉佐和子が心臓麻痺で急逝した時、番組の冒頭でタモリはひどく驚いていました。
「帰れ、とまで言ってしまいましたから」
と、複雑な表情をしておりました。
色々あった番組でしたよ、「笑っていいとも」・・・毎日お昼にスタジオ・アルタから放送され、当時、全盛を極めたフジテレビの番組でした。
「おもしろくなければテレビじゃない」を掲げ、この世の春を謳歌していたフジテレビ・・・昨今の凋落を、だれが予想できたでしょうか・・・
そんな矢先、フジテレビの人気番組だった「笑っていいとも」のスタジオ・アルタが閉館したこと、因果な巡りあわせですね。