
トイレが近くなってきました。加齢により、仕方ないことと諦めております。
ビールを飲んで寝た翌朝など、早朝にトイレに行きます。
最近は見事な朝焼けを堪能できています。いいものですね、朝焼け。
早朝のトイレ起床も心の持ち方、ですね。
ドトールやコメダで、良くコーヒーを喫しております。
が、たまにはココアもいいですよ。
コーヒーより重厚な感じがして、ケーキやカヌレなどの茶菓が要らない気もします。
ポリフェノールの含有量も優れ、カフェインを含まないのがヘルシーです。

以前は「おろしがね」で擦ったり、もっと昔は「あたり蜂」で当たったりしていましたが、最近は擦った山芋が「とろろ」になって、チューブ詰されて、売っているのですね。
便利な世の中になりました。
スーパーで見かけたので、さっそく買い、温かい「かけ汁」を作って、「とろろそば」にして、楽しみました。
よく、せいろそばの冷たい「つけ汁」にとろろを入れることがありますが、温かいそばで楽しむのもいいものです。
アテの「草餅」も、良かったです。

「わらび餅」にしろ、紅白二色の饅頭にしろ、セットで売っていて、バラでは買えない甘味って、あるじゃないですか・・・
「食べたい、でも、買って全部ひとりで食べたら、糖分過多で、せっかくランニングマシンやエアロバイクを暮らしに取り入れているのに、無駄になるなぁ」
と考えて、買うのを止めてしまいます。
そこで、思うのですが、1つの甘味をシェアしてくれる友達って貴重ですよね。
例えば「わらび餅」を1パック買う。友達と半分ずつ、食べる。
これなら糖分過多にならないわけです。
俺の友達は、酒飲みが多く、かといって「甘いものがダメというわけじゃない」というわけです。
酒党=甘いものを嫌う
この図式は成立しないと思います。
ただ単に、酒のアテとして、羊羹や最中が不適というだけで、疲れて休憩したい時など、酒好きの飲み友達でも、普通に甘味を食します。
だから、そうした友達に甘味をシェアしてもらっております。
友達が来るのが分かっていて、俺が買っておくこともありますし、いつか、日記に書いた「おもたせ」的に、友達が俺が甘味も好きなことを察してくれて、買って来訪してくれることもあります。
こうやって、パックになっている甘味でも、糖分過多にならずに、楽しめております。
甘味ではないのですが・・・鶏の唐揚げなどに添えるレモン・・・1片でいいのですが、なかなかバラでは買えないですよね。
最低でも3個、袋詰めされています。
1個でも多いくらいなのに、3個となると、最後まで使いきれずに持て余し、カビが生えて、結局捨ててしまいます。
レモンやパセリ、シェアしてくれる人、いませんか?

仕事から帰宅して、ランニングマシンやら、エアロバイクやらでトレして、入浴を済ませ、「今日のやるべきことが、すべて終わったなぁ」という状態で、ビールを飲むのが、張り詰めた心情をリリースするようで、大好きです。
「これがあるから、生きていられる」
と言っても過言じゃないくらいです。
俺は内臓が極めて性能よく、殊に肝臓の数値は
「アンタ、本当に酒飲むの?」
ってなレベルだそうです。
だから、主治医も、はりあいの一環として、「酒、飲んでもいいですよ。好きなだけ飲みなさい」と言ってくれています。
「ただ、外で飲んではいけない。飲食店から自宅までが危険」というのです。
車椅子が手に入ってから、外でも飲んで、安全に帰宅出来ていますけどね。
ビールや吟醸酒に合うアテとともに、好きなテレビ番組など、やっているとご機嫌です。
「なんでも鑑定団」「ケンミンショー」「ポツンと一軒家」など、好んで見ております。
しか~し、です。
たまに「特番」が組まれ、普段1時間の番組も、1時間で終わらないことがあります。
以前、このコーナーにも書いたのですが、喫茶店で、一杯のコーヒーで決められた時間を過ごすの、俺は大の苦手なんです。
それと同じことが、適量飲酒―テレビ番組を楽しむ、際も起きてしまうのです。
適量飲酒が済むタイミングである1時間で、番組も終わってほしいのです。
「特番」と銘打って、1.5時間も2時間もやるの、やめてほしいです。(←完全に俺のエゴだなぁ・笑)
「好きなだけ酒飲んでもいいですよ」なんて、主治医に言われたからと言っても、週に2回は、「飲まない日」を作っております。
完全に固定しているわけではないですが、水曜日・土曜日は、飲まないことが多いです。
この両日、奇しくも俺にとって、興味のあるテレビ番組が、ないです。

日々の買い物・・・西友を利用しています。
高い所に陳列してある缶ビールなど、取ってくれるのです。
最寄駅直結で、会社の帰りに一杯やりたくなった時など、重宝しております。
その西友ですが、TRIALに買収されてしまいました。
買収というよりは「経営統合」と言った方がいいらしく、
「西友とTRIAL、一緒になってスゴトクスゴトク」
なんて、リピート機能のあるレコーダーで、盛んにアナウンスしております。
TRIAL・・・九州を中心に伸びてきたスーパーで、レジなどをセルフ化し、人件費を削り、その分低価格を実現し、消費者に還元しているというのです。
コンビニ・ヴァージョンの店舗が「TRIAL GO」としてでき、西友の厨房を使って作った総菜や弁当を運ぶシーン、テレビで見ました。
以前、「ファミマ」で、親切なご婦人店員さんがいて、愛用していたコンビニが「TRIAL GO」になったのです。
「TRIAL」確かに安いです。
ロールパン6個入りが98円、弁当の「ロースかつ重」が318円です。
しか~し、です。
店内の通路が狭く、移動や物色に難渋するうえに、Suicaが使えないのです。
セルフレジに現金をくべておりますが、手にも多少の障害がある俺、現金を投入して、お釣りを財布に格納するのは大儀です。
ただ、良くしたもので、ロールパンやロースかつ重、西友でも買えます。さすが「合体の効果」です。
西友なら、通路は広いし、Suicaも使えるので、煩雑な現金の「出し入れ」がないです。
買い物も適宜、手伝ってくれます。
「ささみの燻製」や「サラダチキン」など、低糖質なものを中心に買っていますが、30円引き等を実施していて、TRIALとの合体後、西友も安くなったと実感しております。

「ボウリングを一時的な流行として終わらせたくない。スポーツとして、認知させたい」という昇華的精神と、「女王として君臨したい」という執着心を併せ持った人・・・
俺は須田開代子に、そんな印象を持っております。
ボウリングがブームになった頃、日本が高度経済成長を遂げ、日本人が豊かになった時期でした。東京五輪、大阪万博と、豊かになった日本を、内外にアピールした頃でした。
女性の社会進出が「あたりまえ」となり、「OL」という言葉が使われ出したのも、この頃でした。
余暇を楽しむ娯楽として、ボウリングは流行りました。でも、スポーツとしてではなく、あくまで、「娯楽の一環」でした。
事実、ゲームセンターのように、ボウリング場は「不良の溜まり場」という側面も、ありました。
男子プロボウラーがいて、活躍する中、女子のプロボウラーも誕生させようという機運が高まり、アマチュア予選会が幾度となく開かれ、須田開代子は毎回、参加していました。
そこで、終生のライバルとなる中山律子と出会うわけです。
激しいライバル心をメラメラと燃やしたのは、須田の方で、彼女は中山を差し置いて、女子プロNo.1のプロ認証番号が欲しかったのです。
見事、獲得し、いまでも、女子プロボウラー・ライセンス第1号は須田開代子です。
なのに、
「人気の中山 実力の須田」
と言われ、マスコミの注目は、中山に集まりました。
それは、中山が颯爽とした美女だったからです。
1970年、大阪万博があった年、中山律子はパーフェクト、300点を達成しました。
それまで、女子プロボウラーで達成した人はおりませんでした。女子プロボウラーには不可能とさえ、言われていました。
それを中山律子がやってのけたのです。
中山の試合はテレビ中継され、最後の一投は、かなりの高視聴率でした。テレビを通じて、中山律子パーフェクト達成の瞬間が全国に放映されたのです。
パーフェクトという野望を目論んでいて、ボウリング界での地位を絶対的なものにしたかった須田にとって、まさに「女王が入れ替わる瞬間」でした。
行動から分かる須田開代子の性格からして、「さぞ、悔しかっただろう」と察するのです。
事実、須田は中山のこと、「綺麗で強いなんて・・・」と、改述しておりますし、夜中に突然起きて、
「こうしている間も、中山さんは練習しているかもしれない」
と、走ったといいます。
パーフェクトを達成した中山律子への不屈の精神が、須田の公式戦6連勝に繋がり、それもまた、凄い記録なのですが、世間の注目は、依然、中山律子に集まります。
中山律子のパーフェクト達成以来、その傾向は顕著になります。マスコミに引っ張りだこで、シャンプーのCMに出て、
「さわやか リツコさん」
というフレーズまで、流行ったのです。
先ほども触れましたが、それは、中山律子が「美貌の持ち主」であり、芸能界でも通用するスター性を持っていたからでした。
中山のパーフェクト達成という偉業の悔しさは、須田は、公式戦6連勝という実績で晴らし、中山を2番手に組み敷いたのです。
ただ、女としての美貌・・・このままでは中山に太刀打ちできないと思った須田は、渡米し、成形手術を受け、鼻筋の通った、凛とした顔立ちに生まれ変わり、ラメ入りの派手なボウリングウェアーを着て、颯爽と登場したのです。
ボウリング界切っての貴公子・西城正明プロとの電撃結婚も、中山に対する女としての「ライバル心」だったと、俺は考えます。
オペラが好きで、田谷力三の大ファンだった須田開代子、披露宴では、田谷が歌ったといいます。
中山律子が結婚を機に、一線を退き、主婦として家庭を守ることに注力したのに対し、須田開代子は、女子プロボウラーの組織を作り、その会長に収まったのでした。
ボウリングが下火になると、スポンサー集めに奔走したそうです。
西城と須田の離婚も、ボウリングに対する夫婦の意見の対立があったようです。
「もう、ボウリングはおしまいだ。ボウリングで生計を立ててゆくのは無理」という西城に対して、須田開代子は、「ボウリングを愛し、ボウリングでメシ喰ってほしかった」のです。
案の定、ボウリングは衰退しました。
でも、細々ながら生きています。
須田開代子の意思を継ぐように、女子プロボウラーも毎年育っています。
女子プロボウラーのアソシエーションも健在です。
須田開代子が癌のため、帰らぬ人となった時、葬儀はボウリング場で行われ、女子プロボウラーたちが「偉大な先人」に「追悼の一投」を捧げました。
弔辞を読んだのは、誰あろう、中山律子でした。
中山律子はその後、須田開代子が創設した女子プロボウラー・アソシエーションの会長に就任し、やがては男子も含めた全プロボウラーの組織の会長に就きました。
ボウリングを愛する情念、須田開代子が具現化し、終生のライバルだった中山律子に引き継がれている・・・そう思われます。