札幌夏天

2018.8.22~24

札幌・・・溢れる元気を与えてくれる街

障害を得て挫折 そして復活を遂げた時

この街に来ることができて 美しい町並みを歩くことに 大きな達成感があった

美味しい食べ物 変わらぬ旅情は いつも心を満たしてくれる

旅立ち:羽田空港

10:15 発の飛行機で旅立つはずでした。そのつもりで相方の小鹿と待ち合わせしていました。保安検査を通過して、乗り込みゲートで待っていると、出発は11:00になったというアナウンスが流れました。使用機の整備不良だそうです。やがて、更に15分遅れ、挙句の果てに整備不良が解消されないまま、乗る予定の飛行機が欠航になってしまいました。代替えの機に振り替えてもらうしかありません。バファリンのCMで、由紀さおりがやってる「とにかく早いのにして」です。13:20ようやく羽田を離れることができました。新千歳着15時少し前だそうです。

札幌駅に着く

新千歳空港に着き、速攻で「エアポート快速」に乗り込みます。Suicaが使えるので便利です。北海道の町並みや原野を見ながら列車は走ります。札幌に着いたら16:30でした。とりあえずホテルにチェックインしようということにして、南2西6の「ホテルサンルートニュー札幌」まで歩きます。

ラーメン横丁

札幌到着が大幅に遅れ、昼ご飯に予定していたラーメンは、もはや夕方という時刻になってしまいました。ホテルにチェックインするとすぐに有名な「ラーメン横丁」に出かけます。今回、楽しみにしていたのは、札幌在住の旧友・亮ちゃんがイチオシだから行ってみてと教えてくれた「天鳳」です。こってりした「味噌ラーメン」、美味しかったです。路地に店が集中している風情もいいですね。冬場にコートの襟を立てて、なんて、いいでしょうね。あ、もちろん、夏でも情感があります。

時計台は改修中だった・・・

「お久しぶりです、時計台」と言いたかったですが、改修中でシートに覆われていました。まして札幌はじめての小鹿は時計台を楽しみにしていましたので、とても残念がっておりました。でも、ものは考えようで、改修中の時計台を見る方が、あまり経験できないのではないでしょうか。

テレビ塔と大通り公園

時計台からすぐのエリアにテレビ塔があり、大通り公園が広がります。テレビ塔に上った後、大通り公園をそぞろ歩きます。夕方とは言え、暑いので、噴水の前でくつろぐ人々が気持ちよさげです。

狸小路

アーケードが長く続く商店街です。今回、宿泊しているホテルはこの通り沿いなので、すすきのエリアとをつなぐ「渡り廊下」のように往来します。2年前と同じく、タヌキのオブジェと写真に収まりました。

ホテルのロビーも いつまで・・・

汗もかいたのでシャワーを浴び、着替えて、夜の街へ繰り出すことにしました。札幌の夜は、やはり魚介系で一献やりたいですね。ロビーで然るべき店を検索します。ホテルのロビーってなんとなくゆったりできますね。

♪ 土曜でなきゃりゃ 映画も早い

 ホテルのロビーもいつまで いられるわけもない ♪

すすきので一献

すすきのに繰り出しました。有名な「ニッカの看板」を見て、相方が大はしゃぎしておりました。

「美味しい寿司が食べたいね」と言い合っていて、検索した寿司屋を訪ねたのですが、人気店らしく平日にもかかわらず、いっぱいで入れませんでした。ほかの寿司屋を探そうとも話したのですが、丁度、近くに和食屋さんを見つけて入ってみました。北海道ならではの鮮魚の刺身でビールと日本酒を一献いただきました。ボタンエビ、スルメイカのエンペラ、ウニ、本鮪、ミル貝といった盛り合わせで、とても美味しかったです。

「チカホ」で朝食を・・・

2日目の朝です。朝食を取るところを探して「チカホ」を歩きます。札幌駅から大通りへと続く地下歩行空間です。狸小路からも地下道は続いていて、その部分は「オーロラタウン」というそうです。冬、たくさん雪が降る街ならではの移動手段です。

オシャレなカフェがあったので、朝食にしました。パストラルミートのサンドです。俺はアップルジュースを頼んだのですが、相方はコーヒーを頼みました。すると「白い恋人」が1枚、ついて来るのが笑えます。

北海道庁旧本庁舎

国の重要文化財だそうです。赤レンガ造りの建物が往時をしのばせます。修学旅行生や観光客で混んでいました。

中は重要な決定事項が行われた部屋や、千島列島、北方領土に関する資料などが展示してあり、重厚感があります。日本の敗戦が決定した後もソ連が侵攻を続け、追われるように北海道に渡った人々の舐めた辛苦が映画を観賞して、分かりました。

藤女子大学

大通駅から地下鉄南北線に乗り、「北18条」という駅で降りて行きました。念願叶って訪ねることができました。中島みゆきの母校です。綺麗な外観ですが、みゆき姉さんが在学していた頃は、どんなだったのでしょう・・・

みゆき姉は、ここで学びながら独自の感性や言語力を磨き、それが今日の、あの素晴らしい詩に生きているのでしょう。この近くに母娘で営む「ライフ」という店があり、そこで「辛すぎるカレー」を食べたのでしょうか。この近くの通りを「シュプレヒコールの波」が通り過ぎていったのでしょうか。