北山村・・・絶景の異空間

2015.9.20.

この村へ旅をしようと思った動機

この村について知ったのは、高校生の時でした。

地理の授業の合間に、何気なく地図帳を見ていて、「和歌山県飛び地」と言う表記があったことがきっかけでした。

「へぇ、和歌山県には飛び地の領域があるんだ」

と思いました。その何年後か、知人に年賀状を書くのに、郵便番号簿を出して調べている時、偶然、和歌山県の個所を開いたことがありました。

「聞いたこともない町って、あるものだな」

そう思ってみてるうちに、明らかに他の市町村とは大きく違う番号の村がありました。わかりやすくいうと、和歌山県のほとんどの市町村が、600番台なのに、その村だけ、500番台というような違いでした。

「この村が例の飛び地なんだろうな」そう思いました。

ネットの時代が来て、調べるのが簡単になった頃、俺は調べて、やはり、この村が、例の飛び地であること、市町村単位の飛び地は全国唯一であること、たいへん行きにくい位置にあることを知りました。秘境とか、変わったエリアが好きな俺、行ってみたくなるのは当然でした。

新宮という町からアクセスするものと思ってましたが、三重県の熊野から行く方が都合がいいことを知り、今回、こうきさんという友人に案内していただき、「念願の飛び地の村」にこの足で立つことができました。

驚くほどのすごい景観

松阪から、車に乗せてもらい、紀伊半島の南東部を横断するように、高速道路を走ります。聞くところによると、去年開通したばかりの高速だそうです。

トンネルが多く、しかも今までに経験したことがないような長さです。すごく昔に見た、ウルトラセブンの、トンネルの中で車が消える話を思い出して子供みたいにワクワクする俺です。

トンネルじゃない部分もたくさんあり、昨日の名古屋に続き、申し分のない好天に恵まれた初秋の爽やかな気候の中、陽を浴びながら輝く山々は本当に綺麗でした。

途中、いくつも橋を渡るのですが、はるか下の方に清流が流れていて、「歩いて渡ったら怖いだろうな」と思うほどの眺めでした。はしゃぎ過ぎて呆れられるのでは、というくらいテンションは上がってました。それと比例するように、ロレツも回らなくなりました。そんな俺をヘンに思うこともなく、景色を楽しんでいる俺を、こうきさんは暖かく見てくれます。

熊野に着いて、スーパーで夜用にアルコールを調達して、いよいよ北山村へ向かいます。

「急カーブばかりの連続だから、しっかりつかまっててね」と言われ、

「やはり辺境の村に入るにはそうした道じゃなければ」と期待が高まります。

道が昇り始めたと思うと、いきなり急カーブの連続です。しかも車がやっと1台通れるような狭路、昼間でも暗い林道、細い橋、坑内に全く電灯のない、昔ながらのトンネル・・・まさに「異空間への入り口」です。

そうして、まず驚嘆したのは画像の「七色ダム」です。足がすくむような高さにある橋の上からダムを見ます。はるか下には川が流れ、その流れをせき止めるようにダムはあります。歩行にふらつきがある上、高い所が怖い俺は、車の中から写真を撮りました。この橋を渡ったところが、またトンネルでした。

杣人(そまびと)

木を伐って筏に組み、川へ流す。その筏は下流の新宮で受け取られ、木材として売られる。

険しい山に分け入り、木を伐り、それを急流へ流す。

それを生業としてきた杣人たちの里。

古くより新宮とのかかわりが強く、明治維新後の廃藩置県で、「新宮が和歌山県に入るなら俺たちも」という請願が聞き入れられ、今日に残る「飛び地の村」になったそうです。それで、三重県と奈良県にしか接してないのに和歌山県という事態が起きたそうです。

大江健三郎が書いた「同時代ゲーム」という小説を地でいく感じがします。実際に渡ったら怖いだろうと思う吊り橋、川の急な流れ、その川に垂れ込めるように迫る山の稜線・・・独自の物理法則や時間軸が成立するのではと思うくらい、一つの小宇宙のような幻想に浸ります。

道の駅・おくとろ

ついに自分の足で、この飛び地の村に立ちました。

去年の秘境駅の旅で「絶壁の駅」に自分の足で立った時のような感動です。

村の中心部「道の駅・おくとろ」です。「北山村は和歌山県」という宣伝看板とともに写真が取れて感激です。「ここまで来ることができた。良かった」という感慨で感無量です。

この村、関東では知る人もほとんどいませんが、関西圏、特に大阪では良く知られたスポットのようです。アユやヤマメを狙う釣り人が多く訪れるそうです。ツーリングの人たちもたくさんいました。

宿に着き、入浴、夕食をしてから、こうきさんとアルコールを嗜みました。

「今日一日、すっかり運転させてしまい、申し訳ありませんでした」と言うと

「そんなことない」と言う優しい言葉でした。